Columnカジシンエッセイ

RSS

Column - 2024.05.01

第235回 変身クリニック

 満月の夜になると、獣に変身する人間がいるというのは伝説ではない。本当のことだ。私もその中の一人。おかげでまともな人間生活が送れずに悩んでいた。いや、私が狼男というわけではない。念のために。そこで、名医がいるとの噂を耳にしてここにやってきた。その名も“大神クリニック“。こちらの先生もかつて私と似たような悩みを抱えていて、治療法がないから自分で治せるようにしよう、と医者の道を志したと聞く。病院名からもわかる通り、先生も人狼なのだ。満月の夜になると狼男に変身するという。だから満月の日は休診ということになる。
「先生は狼男ですか?」と真っ先に尋ねたのだが、先生は否定することもなく「ええ、その通りです。世の中には、私のような変身症で悩んでおられる方がいかに多いか。でももう悩まれることはありません。そんな変身症の方々のお役に立ちたいとクリニックを立ち上げたのですから」と言ってくれた。先生の言葉を信じてみようと思った。
「どんな症状でお悩みですか?」
 私が症状を伝えると、先生は「なあるほど」と膝を叩き「ではグループ療法が一番いいかも知れませんね」と。
 グループ療法の部屋に入ると、すでに十数人を超える男女が椅子に座っていた。程なく先生が現れ椅子に腰を下ろし、愛猫を撫でながら、口を開いた。
「まずお一人づつ症状を話してください。みなさんの話を聞けば悩みが自分だけではないのだとおわかり頂けるかと思います」
 最初は男が話し始めた。「私は麺類を食べることができない。麺類を口にすると頭に角が生えて、手足に蹄が生えてきて、牛男になってしまいます。凶暴性はないのですが、人間に戻るまで涎を垂らして怠惰になってしまいます」
 満月の夜とは関係ないらしい。先生が男にラーメンを与えると、実は見るだけで我慢できなくなるらしく、みるみる食べてしまう。すると頭から角が生え、四つん這いの人牛と化した。私はあんぐりと口を開いた。これは予言する妖怪“件(くだん)“ではないか。
 次は大男だ。「私は酒を飲むと変身します。酒席で何度失敗したことか…」先生が彼に差し出したのはコップ酒だ。「やめてください。我慢できない」大男は自分の手を手錠で拘束した。彼の口に酒が注がれると、なんと男の全身に縞ができ、耳が立ち、大トラ男に変身したのだった。大トラになった彼は泣き叫ぶ。彼は泣上戸でもあるようだった。先生の膝にいた猫が驚いていた。
 各人は自分の番になると、自分の変身後の姿について語り始めた。私は世の中にはこんなにいろんなものに変身する人がいるのだと知り、安心すると同時に呆れ返ってしまった。私は変身するのは狼男くらいかと勝手に思い込んでしまっていたようだ。りんごを見るとヘビに変身する男もいた。イブに禁断の果実を食べさせた先祖の呪いなのだろうか。
 次の女性は走り始めるとウマに変身してしまうという。だから走れないのが悩みだとか。しかし、他の人たちからは「今はウマ娘はブームじゃないですか!」としきりに羨ましがられた。満月を見ると変身するのは、犬に変身する男くらいでヒツジやウサギに変身する女性は何が原因かわからないという。狼男に変身する人以外にも、いろんな変身の条件があるものだ。一つ共通点に気づいたのは次の男の話からだった。
「私はドラゴンに変身するんです」と。ドラゴンなんて架空の動物ではないか。実存しない動物に変身できるわけがない。そう思った。「私はヌンチャクに手にすると」バッグから男はヌンチャクを取り出し上半身を脱いで手に持った。すると顔がみるみる変貌していく。眉が濃くなり、眼がぎらつき、むきむきの筋肉が浮かび上がってくる。「ドラゴンに変身するのです」そしてヌンチャクを振り回すと甲高い奇声をあげた。
“アチョー!!
“部屋の隅に逃げていた猫が驚き飛び上がる。
 まるでブルース・リーだ。まさに男はドラゴンに変身していた。
 彼らに共通していたのは、彼らが変身するのはどうも十二支に関係する動物だということだ。
 さて今度は私の番だ。私は立ち上がった。「私は満月の夜にネズミになるんです。ただし姿がネズミになるだけで人を襲ったりすることはありません。しかし、みなさんの話を聞いていて、それぞれさまざまな悩みを持っておられるんだなと驚きました」
 満月ではなかったので私はネズミに変身することなく自分の症状を伝えることができた。自分だけが変身の悩みを抱えているわけではないことがわかっただけで心穏やかになった。
 そこで先生が皆に言った。
「他の方の話を聞かれて、どう感じられましたか?正直な話、私は自分の経験や知識からみなさんの症状を治す方法を見つけてはいません。しかし、あとはみなさんの心の持ち方です。同病の方の存在を考えれば、気の持ち方も楽になるはずです。それからこの悩みは人間だけではありません。獣の中にも条件が揃えば人間に変身するものもいるはずです。」ということで、この日のグループ療法の会は解散になった。帰ろうとすると、一人の女性が私を追いかけてきた。
「ネズミに変身するんですね。私、漫画映画でも遊園地でもネズミの大ファンなんですよ。もっと親しくなりたいわ」
 よく見ると、とても魅力的な若い娘だ。はて、彼女はさっきのグループにいたっけ?思い出せない。彼女は変身するとどうなるんだっけ?いや、彼女は自分のことを話していないのでは?彼女の正体は誰なのだろう。
 しかし、彼女の態度が猫っかぶりで猫撫で声を使っているようにしか思えない。彼女が私なんかになんの興味があるんだろう?彼女が私に近づく理由はなんなのだ。気にはなるが、美人だし、まあいいか。

コラム一覧を見る